歴史を知りたい
室町時代
室町時代(南北朝時代~戦国時代)
鎌倉幕府が滅んだのち、後醍醐天皇が自ら政治をおこないましたが、不満を持つ武士を集めて兵をあげた足利尊氏によって、わずか2年で失敗に終わりました。
後醍醐天皇は奈良の吉野に移り(南朝)、尊氏は京都に別の天皇を立てて(北朝)征夷大将軍に任命され、室町幕府を開きました。足利氏の幕府がつづいた約240年間を室町時代といいます。一方、南朝と北朝が各地の武士を味方につけて長い間争った期間を、特に南北朝時代といいます。
このころの宇都宮城主は、9代公綱です。公綱ははじめ南朝方について尊氏と戦いますが、敗れてからは北朝方について全国を転戦しています。特に、楠木正成との戦いは書物『太平記』にもえがかれ、宇都宮氏は武将としてもその名を知られました。また、10代氏綱は上野国(群馬県)・越後国(新潟県)の守護職にもなっています。
この時代の宇都宮には、7代景綱・8代貞綱・10代氏綱のそれぞれの菩提寺である東勝寺・興禅寺・ 粉河寺をはじめ、480の寺院が建ちならび、「香煙のために王地を覆うの感あり」といわれたようです。
8代将軍足利義政のころになると、有力な守護大名が対立を深め、将軍家のあとつぎ問題もからんで戦いをはじめました。1467年に京都でおこった応仁の乱です。守護大名が京都で戦っている間に、地方では家来が力を強め、領地をうばう者も出てくる下剋上の世の中になると戦いは全国に広まります。100年もの間続くこの時期を、特に戦国時代と呼びます。
戦国時代の宇都宮氏は、武田勝頼や小田原の北条氏ら周囲の大勢力と戦い、町を焼かれることさえありましたが、宗円以来、500年の歴史を持つ宇都宮を守り続けました。
多気城 南北朝から戦国時代は戦乱に明け暮れた時代でした。この中で生き残るため、平城であった宇都宮城は、堀と土塁で幾重にも囲まれた大きな城郭(じょうかく)になっていきました。また、現在の宇都宮市内には、当時30を超える城が築かれていました。多気城はその代表的なものです。
室町時代には、銅や鉄をとかして型に流し込み製品を作る技術が全国に伝わり、下野国でも優れた技術者が生まれました。佐野の天明の鋳物は有名ですが、宇都宮でも、およりの鐘、鉄製狛犬、鉄塔婆、汗かき阿弥陀など、この時代の特徴をもつ優品がつくられています。
また、現在5月15日に二荒山神社で行われる田舞祭で奉納される田楽舞は、1458年に7曲が演じられているという記録が残っています。宇都宮氏の保護のもと、中世の文化が宇都宮で花開いていたことがうかがえます。