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徳川将軍も泊まった華やかな城下町うつのみや徳川将軍も泊まった華やかな城下町うつのみや

どうして宇都宮城に徳川将軍が泊まったの? どうして宇都宮城に徳川将軍が泊まったの?
当時の城下には約1万人が住み、代々譜代大名が入封する軍事・交通上の重要拠点でした。 当時の城下には約1万人が住み、代々譜代大名が入封する軍事・交通上の重要拠点でした。

徳川将軍が宿泊した城

江戸時代に徳川幕府が開かれ、日光に初代家康を祀る東照宮が造られると、将軍家による日光社参が行われるようになります。その規模は、8代将軍吉宗の場合で見ると、行列の人数が約13万人、人足が約22万人の大行列で、幕府の権威を示す大規模なものでした。その社参の際に将軍の宿泊所として宇都宮城は使われました。

宇都宮城址

本丸付近の櫓や土塁などが一部復元されている城址公園。

宇都宮御城内外絵図

 

釣り天井伝説

この将軍が宿泊する宇都宮城を舞台とした伝説が「宇都宮釣り天井事件」です。宇都宮城主であった本多正純が、駿河大納言忠長を3代将軍にしようと考え、日光社参のため宇都宮城に宿泊する家光を釣り天井により暗殺しようと企てますが、失敗に終わるという物語です。この元となったのが、元和8(1622)年、2代将軍秀忠が日光社参の際に、帰り道、急に予定を変えて宇都宮城を避け、江戸に帰ってしまい、その後、正純は宇都宮城を取り上げられたことが、後に講談や歌舞伎の題材となり脚色され、釣り天井伝説が生まれたのです。

宇都宮城下の賑わい

当時の宇都宮城下には約1万人が住み、様々な業種の人が集まり城下町を形成していました。二荒山神社の菊水祭付祭では、屋台や山車がくり出され、多くの人で賑わっていました。

新石町山車(明治40年代)

平成26(2014)年に復元された山車は、宇都宮城址公園のまちあるき館に展示されている。

伝馬町屋台

屋根の上には、龍が今にも飛び出しそうな姿で乗っている。全体に「牡丹に唐獅子」「松に鳳凰」など、華麗な彫刻がはめこまれている彩色の彫刻屋台である。(県指定)

市民の憩いの場 宇都宮城

この宇都宮城は高度経済成長期に一部を残し、埋め立てられてしまいましたが、城址公園の再整備により、現在の姿に生まれ変わり、市民の憩いの場として利用されています。

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