大谷石との出会い
約千五百万年前の海底火山の噴火によって形成された凝灰岩の大谷石は、宇都宮の人々にとって昔から身近に触れることができる存在でした。この地に住む人々は、その石質の特質を見抜き、竪穴住居のカマドや横穴式石室の石材として使ってきました。また、岩肌を露出する石山に磨崖仏を彫り、人々の安寧を願いました。
大谷観音(大谷寺)
日本最古といわれる磨崖仏。石の面に直接彫刻された大谷寺本尊千手観音である。大谷寺は坂東三十三箇所第19番札所。(国特別史跡・重要文化財)
巨大な地下空間の出現
江戸時代以降、大谷石は建物の屋根や壁などの建材として使用されてきました。明治以降は採石産業が確立し、人車軌道や鉄道などの輸送手段の発達や採掘の機械化により、出荷量は飛躍的に増加しました。宇都宮以外にも東京や横浜に大量に出荷され、近代化する日本の都市づくりの礎を担ってきたのです。その結果生み出されたのが、大谷資料館で見られるような巨大な地下空間です。
掘り出した石で築いたまち
城下町・門前町として発展してきた宇都宮では、江戸時代以降、二荒山神社の石垣をはじめ、教会や寺、豪商の屋敷、民家の塀、人々の憩いの場となる庭園の花壇や園路、道路の敷石等、様々な場所に大谷石が使われてきました。宇都宮の人々は、加工がしやすく、耐火性に優れた大谷石を変幻自在に使いこなし、「石のまち」をつくり上げてきたのです。この宇都宮に息づく「大谷石文化」が平成30年5月に日本遺産に認定されました。さらに、大谷地域は、令和6年度には国の重要文化的景観に選定されます。
カトリック松が峰教会
この教会は、国内では数少ない双塔を持ち、大谷石壁のそこかしこにロマネスク様式の装飾が施されている。(国登録)
御止山
姿川沿いに連続して露出する大谷石の高い崖は、松や蔦などの植物の緑と岩肌の灰白色の織りなすコントラストが見る人を魅了し、その独特の風景は「陸の松島」と呼ばれている。(国名勝)