歴史を知りたい
旧石器時代
日本列島ができるまで
今から約1500万年前、地質年代でいう新生代第三紀中新世のころは、地殻変動が活発で、はげしい火山活動があった時期で、栃木県は、足尾や八溝山地を除いて大部分が海に沈んでいました。大谷石として全国的に有名な緑色凝灰岩は、このころのはげしい海底火山の噴火によってふき出した火山灰が、海底に堆積してできた岩です。
大谷石層の堆積に続き、横山・長岡・山本・大曽に見られる薄緑色から茶白色のやわらかい岩が堆積します。八幡山公園あたりは、今から1200万年前のものと考えられる砂岩・泥岩層がみられますが、二枚貝やサメの歯、クジラ(?)の骨が発見されていることから、このころは、まだ比較的温暖であったと考えられます。人類が誕生するはるか以前の地層です。
旧石器時代の宇都宮
人類の祖先がこの地球上に現れるのは、約500万年前とされています。また、日本人の祖先がこの日本列島に渡ってきた時代は、約3万年前、新生代第四紀更新世の氷河時代で、非常に寒い気候がつづいており、最も寒い時期には、地球上の3分の1が氷でおおわれていたようです。
氷河期の終わりころは、海面が今より100~150mも下がっており、日本と大陸は地続きでした。このため、大陸に住むナウマンゾウやオオツノジカなどの動物が日本に渡ってくるのを追いながら、人類も移り住んできたのだろうと考えられています。また、現在のインドネシア付近から、東アジアの人々の祖先となった人々も黒潮の流れに乗って北上し、日本列島にやってきたと考えられています。
旧石器人は優れた狩人でした。関東ローム層と呼ばれる赤土の中からは、頁岩や黒曜石などで作られた石器が発見されることがあります。これらは、広い原野に動物を追って山や野を移動しつづけた人の生活を物語ってくれます。
大谷石地層 国指定史跡飛山城跡の発掘調査では、約3万年前につくられた、けものをとるための落とし穴の跡が発見されました。宇都宮にも、旧石器人の生活のあとが残されているのです。
以前は、旧石器人は洞くつとか岩かげなどを利用して生活していたと考えられていましたが、決してそうではありません。宇都宮市内の遺跡の発掘調査では、台地の上や山の斜面に小屋を建てて住んでいたことがわかっています。
氷河時代がおわると、気候が温暖化するのにしたがって海面が上昇し、今から約1万2千年前には、おおむね現在の日本列島が形成されました。また、これと時期をほぼ同じくして、火山の噴火活動もおさまってきたようです。