源頼朝と宇都宮朝綱
宇都宮氏は、宇都宮明神(二荒山神社)の社務職を兼ねながら宇都宮の地を治めた武将です。3代朝綱は、源頼朝の挙兵を助け、鎌倉幕府の樹立に貢献しました。頼朝が義経を追って奥州に向かった際に、朝綱も頼朝軍に加わり、手柄を立てています。
百人一首と蓮生
5代頼綱(後の蓮生)は、当代随一の歌人藤原定家と親交があり、出家して京都に居を構えた際に、その山荘の襖に貼る色紙和歌を定家に百首選んでもらいました。これが後の「百人一首」のもとになったと言われています。宇都宮氏は独自に歌壇をつくり、和歌集を編纂するなど文化面でも秀でた武将でした。
文勇に秀でた宇都宮氏
8代貞綱は、蒙古襲来を迎え撃つ日本の総大将として九州に出陣、9代公綱は楠木正成と戦い、「坂東一の弓矢とり」と評され、さらに、10代氏綱は足利尊氏を助け、上野・越後の2か国の守護職を勤めました。
宇都宮氏の終焉
このように宇都宮氏は、文武に秀でた伝統ある一族でしたが、22代国綱の代に豊臣秀吉により改易されてしまいます。しかし、宇都宮氏の旧臣たちは土着し、その後の地域の発展を支えました。また、宇都宮氏が種をまいた「百人一首」は、今も多くの人々に愛され続けています。また、市内には、多気城や飛山城など、宇都宮氏に関連する城が数多くあり、その栄華の一部を今に伝えています。
多気城跡
多気城は宇都宮氏が戦国時代末期に居城とし、後北条氏と対抗した関東最大級の山城。中腹には多気山不動尊。頂上に登ると関東平野が一望できる。
鉄塔婆(清巌寺)
鎌倉時代の鋳鉄製板で現存する日本最古の鉄製塔婆。宇都宮8代貞綱が健立。(国重要文化財)