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歴史・文化財 資料アーカイブ

城下町宇都宮

茂破町

もやぶりちょう

この付近は、宇都宮城主本多正純(ほんだまさずみ)が日光街道を開くまでは、竹薮(たけやぶ)や雑草の生い茂る原野であったところを、「茂(も)を破(やぶ)って」町づくりしたことから、茂破町と呼ばれるようになったといいます。江戸時代には、二のつく日に市(いち)がたち賑わいました。明治時代の初めになって、茂登町(もとまち)と改められました。


宇陽略記 文久4年(1864)