文化財を知りたい
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資料名称
東組屋台
(
ヒガシグミヤタイ )
当屋台には内部の太鼓場に「本,郷,町」の墨書があるのみで,銘文年号などの記録は見当たらない。古老のお話によると,大正10年7月宇都宮馬場町にあった,花屋敷(遊園地)に展示してあった物を,一金2千円にて購入した。 本,郷,町の文字,又,屋台箱には,「破風入れ 弘化二年」(1845)の年号があることからこれが製作年と見られる。 古記録によると,かつて宇都宮二荒山神社の祭礼付け祭りに,多くの屋台や山車が繰り出されたが,当屋台もその内の1台であろう。 唐破風の螺鈿や彫物の彩色など,製作当時の物と見られるが,状態は非常に良く今なお光を放っており,当時の技術の高さを物語っている。 彫物師の記録はないが,彫物の特徴から伝馬町や蓬莱町屋台の名作を残す,宇都宮の彫物師,名工高田新吾がその一派の作と見られる。他の彫物師に比べ特に高田一門は,刻銘や記録を彫物裏などに残さないのがほとんどである。《彫物》 鬼板,懸魚を始め玉眼金龍を中心に,菊花,鯉,そして水辺の動植物は,宇都宮の彫物師高田系の作品に多く見られ,箱棟や,鬼板,懸魚の龍もすばらしい。 後部鬼板は,前部の飛龍とはやや異なるる。古老のお話によると,屋台購入の際,後部の鬼板はどうしても売らなかったたま,二荒山神社裏の棟梁,河合某なる宅にあった彫物を,交渉の結果一金50円にて買い求め,取り付けたそうである。※河合某とは,明治ー昭和初期にかけて活躍した宇都宮の彫物師「河合豊友」のことと思われる。
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作者名 |
大工ー不明 彫物師ー記録なし(宇都宮高田新吾系?) |
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時代・年代 | 弘化2年(1845) |
形式・資料形態 | - |
点数 | - |
法量 | 間口-1.61m,奥行き-3.58m,高さ-3.03m,総幅-2.50m,総長さ-4.45m,総高さ-3.54m |
材質 | 外車(そとぐるま)漆塗彩色彫刻屋台(宇都宮型) |